昭和54年01月19日 朝の御理解



 御理解 第92節
 「神は一体じゃによって、此方の広前へ参ったからというて、別に違うところはない。あそこではおかげを受けたけれど、ここではおかげが受けられぬというのは、守り守りの力によって神のひれいが違うのぞ。神の守りをしておれば、諸事に身を慎み、朝寝をしてはならぬ。早く起きると遅く起きるとは、氏子が参詣の早い遅いにかかわるぞ。」

 今朝からお夢を頂いとりました。『私がまだ酒屋をしておる感じなんです。福岡の川上さんから、電話がかかって来た。どういう事か分かりませんけど、酒を二本配達してくれ。と言うて、その準備をしとりましたらまた、電話がかかって来て、菊正宗の超特級を五本一緒に配達してくれ。と、まあ、自転車のような感じ。わぁ、これは福岡まで配達せんならんが大変だなぁ。と思いよりましたら、今日は月次祭で、もうお広前に変わってる感じですね。
 ほんに今日は月次祭で、嘉朗さんが参って来とったけんで嘉朗さんにことずけよう。と言うてるところ』で目が覚めたんです。私は今日、この御理解を頂いて思うんですけども、まぁ私共が酒屋をしとる時分に菊正宗と言えば、もう酒の最高の酒だと。宮内省にも納めておりますが、もう菊正宗だけはね、いかに当時の、ま、銘酒ち言ってましたね。そのでもね、あそこはね、蔵が違うんです。酒蔵が。も、菊正宗でなからなければ出来ない菌があるんですね。培養するわけではないけれども。
 永年のその歴史と、ま、いわゆる伝統。そこにはもう、菊正宗でなからなければできない。だから、ま、大変近代的な倉庫が出来たそうですけども、その昔の蔵の上に近代建築、かぶせるようにして蔵が出来ておる。と、いう事ですね。今でもこれは私共が、ま、玄人が飲んで当時です、もう菊正宗に右に出る酒はございませんでした。というように、ま、素晴らしいお酒です。ね。今もここで皆さんが頂いて下さるあのお神酒は、も、菊正宗ばっかりです。しかもその超特級の菊正宗ばっかりです。ね。
 例えばなら、酒屋を致しましてもです、ならその、ま、日本一なら日本一。というお酒がですね、例えば注文されても、あっ一級酒ならありますけども、超特級はありません。と言うたらもう商いは出来ませんですよね。お客さんの求めに応じて、ね、菊正宗の超特級と言えば超特級。一級と言えば一級。特級と言えば特級。が「はい」と言うて、それに答えられるものが内容になかったらね。まぁすみませんけど家にはそれは売っとりません。とか売切れでございます。とかと言うて断らんならんでしょう。
 私は今日、ここを頂いてからですね、ははぁあの事やったなぁとこう思うです。ね。金光大神のお取次ぎをさせて頂く天地金乃神様を、主神・祭神として拝ませて頂いておる。これは、お互いの家庭の上においても、沢山な教会があります。その教会でも同じことだ。とこう言う。ただその守り守りの力によって神のひれいが違う。とこう言うならば、ここに合楽支店という酒屋があるとするならば、合楽支店に注文するならば、どういう酒でも、ね。いうならば、世界の銘酒があそこでなら買われる。と。
 今あそこに、あの洋酒のお供えがしてありますね。あれは、あの英国のジョニウオッカという、もう世界最高の洋酒がありますね。その一番、だからジョニウオッカとは言わないわけ。何か妙な形でね。それを頂いた時に、そこの出して見せなさいますもん。してこれは「何とかち言うの、正教さん。」振ると「スウィング。」ま、今言いよんなさる通りですたい。とにかくブランデーは、こうこ、ゆれるんですビンが。動かすことはできないのですが、洋酒はねずうっと。ここに置いといて。
 まぁそういうその、ま、最高の銘酒のお供えがしてありますがね。だから合楽に行けば世界一の酒でも、日本一の酒でも自由自在に求められる。ということだな。と。今日、私これを頂いてから、あらためて思いました。ね。 私川上さんという事がどういう事だったか。と言うと、なら、あちらが、ああいうリュ-マチのために、もう永年の、何十年の信心をしておられますよ。もう椛目の初め頃からしておられる。それこそ十二年ぶりにお願いをなさった
 。その月に月のものが止まって、十二年も出来なかった子供が出来られた。ね、もう続けて、年子のようにして二人息子が出けて、ま、それっきりなんですけれども、もうそれこそ、あんたげん子供は誂え子じゃけん違うの。という位に素晴らしい息子二人を頂いとります。それでも、まぁ体した信心も出来なかったんですけども、自分が身体が悪くなられて、それから御親戚のお医者。薬という薬。医者という医者ば、かかられたけれども、はかばかしくない。
 それでその初めて、当時の椛目に日参を初められて。ね。そして今日に至っとるんです。ね。三年参ったなら五年参ったならが、今日まで続いてるんです。福岡からですからね。ね。お金も沢山掛る事ですし、時間も一家の主婦として、その大切な時間を何時間という。私はそのお夢を頂いた時に、ははぁ一人でに物が出来る。というのは最高の有難い。と、いう信心が積み重ねられてからだな。というふうに思いました。
 今一生懸命あぁして、信心が出来ておらるけれども、今どうこうという事で、おかげ頂いて身体の上には、あんなにおかげを頂いておられるけれども、ならあれもおかげ、これもおかげとは思わないけれど、家族中の者があげて信心をなさるようになった。御主人も大変熱心にお参りをなさるようになった。子供達もついてくるようになった。ね。先日からも、終戦後に建てた家ですから、ま、お粗末な家。
 近所には立派な近代的な建築が、次から次と出来ていきますけれども、私の方にはも、そういう素晴らしい家よりも、何よりも内容を見てて下さい。と言う様なおかげを頂いておる事が最高だ。とこう言われ。お父さんと話します。子供達と話します。本当にお母さんそうだな。と子供達も主人も言うてくれます。信心を頂いておる、と言う事。形の上には立派な家が出来た、お金が沢山貯まった、じゃないですけれども。ね。
 そういう信心を続けていかれる所に、いうならば、超特級の菊正宗がです。ね、買える程しのおかげを頂かれた。という事。これが、徳でなくて何であろう。これがたまりたまって、一人でに物が出来るようにならん筈がない。と言う風に私は、お夢を頂いてから思いましたら、今朝のこの九十二節を頂くんです。ね。ですからそういう中にどうしてこんなにおかげが受けられんじゃろうか。ではなくて、も、その家庭の中に、こうしたおかげを受けておる。という事が有難い事だ。と分からなければだめです。
 でないと神様に不足になる、不平になる。どうしてこげんいつまっでんおかげが頂けんじゃろうか。と、ね。本当に信心が育っていっておる。ね。私は思うのに、合楽教会は、んなら、日本一の酒であろうが世界一のあろうが、求めればあるんだ。と、ね。そういうところにおかげを頂いておる。ということ。
 例えば昨日は月次祭の晩に、あのように聞いて頂いたんですね。 昨日研修の時に佐田先生が発表しとった事が、私もそう実感してましたからね。あのうそうどこじゃないな。と言って、ま、合点しあった事でございますけども、ね。あのう牟田という先生のお書物を送って下さった。そのお書物の中に出ておるのに、その名人がお話しをすると、も、一番初めから感じさせて、最後まで感動させる。ね。
 上手が話すともう時間を感じさせない。例えば二時間なら二時間話しても、あっという間に二時間が過ぎるような感じがする。それこそ泣かせたり笑わせたりしてお話をする。例えば先生方があります。上手なんです。ね。徳者は物を言わなくても人が助かる。という意味の事をこの書いてございました。その話しを昨日の研修の時にしたんです。昨日の朝したんです。そしてそれをまとめて佐田先生がこういうふうに言ってるんです。『親先生のお話しは、名人も上手、徳者もかなわぬ。
 それ以上のものだから』と言うのです。私のお話しが、ね。皆さんが聞いとって思われるだろう。本当まちっとゆっくり話しなさるとよかばってん、早口、早口と思いよんなさるだろう。と思うです。けどもその早口の話しを皆さんが聞きつけると、もうあぁ言う話しがどっから出るじゃろうか。と言う様な内容です。これはもう日々がそうです。私があとで聞いて感心するくらいだから。ね。だから上手じゃないことが分る。勿論、名人では尚更ないわけです。ね。
 と言うてなら私はお徳を受けて、只、私の顔を見ただけで助かる。という程しの事でもないけれども、合楽で語られておる。いうならば。末永先生が言っておる。とこういう事なんです。ね。いうなら上手とか、名人とかというものを超越しているんだ。と。例えば、いかに徳者として助かるにしてもです、その徳で助かっただけではない。ね。それによって教えておる、分からせる感じさせる、お話しによってね。
 そして新たな生神への手立てを、皆が求めておられる。というのが私合楽だと。まずは、こういう教会はまずなかろうと思います。世界中さがしたってないですばい。と言う程しにです、ね。名人でも上手でもないけれどもね。というて合楽の先生は徳者、といういうわけでもないけれども。ね。それ以上のものだから。とこう言うのです。ね。ならそういう話しを、皆さんは毎日頂いておられるわけです。ね。そこでなら信心でよるどころの、例えば川上さんではないですけれども。ね。
 普通でいう、も、本当に結構けだらけというような、おかげじゃないけれどもね。主人が一生懸命、信心なさるようになり子供達が連いてくるようになり、ね、近所には立派な、次から次と近代建築の家が出来ていくけども、私の方は終戦後に建てた、いうならばみすぼらしい家だけれども、もう家の中には、有難いという愛の心でいっぱいだと、ね。それこそ雪に埋もれたようなあっても、中には赤い暖炉が赤々と燃えさかっておる。それが、今日まで私の信心を支えてきた。
 それが主人にも伝わった。子供達にも伝わった。何が何と言うても、このおかげを頂いておる。ということが最高だと。そこにんなら超特級の菊正宗五本お願いします。と言うて最高の酒が求められる程しの内容になってきた。これが徳でなくて何であろう。これが、一人でに物が出来る元にならぬ筈がない。というふうに思うんです。ね。信心は永年続けておっても、その喜びがないなら、育たないならばです、ね。
 だから合楽の場合はね、昨日のお話しの中にも申しましたように、私が話しておる事が、ほうありゃもう親先生の話しじゃないなと、ね。天地の親神様と金光大神と親先生が一体になられて、そして世界の難儀な氏子を助けずにはおかん、救わずにはおかん。という働きが合楽で伝えられておる御理解だ。というわけをです、ね。昨日のいうなら、大和さんの人参というあの人参を、寿司屋さんの番頭さん、小僧さんが、ね。寿司桶に入れて持って来た。と。
 その人参にはタイトルがつけてあった。『人参とは、人神ぞ』とあった。ね。教祖様もおっしゃるように、この方の信心は、ね。この方の信心は神人ぞ。とおっしゃった。ね。人間がなっていく道だ。とこうおっしゃった。福岡の伊藤さんは、合楽教会の前に大きな看板が出ておる。それには、人参、という看板であった。そして上に、卸と書いて合った。ね。いうならば、人参の卸売り、ね。
 昨日も申しましたように、合楽では日本といったものは、何もないけれども、修行生が育っておる。という事では日本一だろう。とこう思います。なら、その修行生が育っておる。ということは、それこそ、ね、「神人を求め給う」これは日田の堀尾先生の言葉です。ね。なら、どういう人を求め給うか。と言うとね。和賀心を求めて生神を目指す人達を、神様は求め給うとるのです。合楽の場合には、おかげも一人でに出来ておるか、です。人が育つ、という事も一人でに育っておるのです。
 私があんたいっちょ、金光様の先生にならんの。学院にいっちょ行かんの。ち言うた人は一人もおらんです。五十人もおりますけれども、ね。一人でにいうならば、ね。生神をめざす、めざして頂こう。と言う様な人達が育って、成程人参の卸だな。というふうに思います。だからそういうお広前で、皆さんはおかげを頂いて信心の稽古をなさっておるのですから。ね。そこんところの焦点をまちがえずに。ね。生き生きとした心で、求道させて頂くならばです。ま、今日の御理解には、少しはずれたようですけれども。
 私が今朝から頂いたお夢といい、また今日丁度頂いたこの九十二節といい、それとこれを合わせてみると、ははぁ合楽の場合にはんなら、どういう注文をしても、どういう酒でもあるから、合楽繁昌しておるんだな。と。いうならば、守々の力で神のひれいがちがう。と言われるが、私に力があるとは思われんけれども、どういう御都合か知らんけれどもね。神と金光大神と、私との一体となった何かがそこにあって、そして世界に和賀心時代を広げずにはおかん。という天地の親神様のお心が。
 日々のこういう御理解になって現れておる。だから合楽に足をふみ込んだが最後、もう他にだん変わられん。というのが、ま、本当じゃないでしょうか。とてもここからとても、そげん遠かところに何十軒という教会を、いうならば通り過ごして合楽に来る。というわけが分かるような気がいたします。ね。お互いそういうところで一つ、稽古させて頂いて、それこそ佐田先生の、この発表じゃないですけども、ね。決して名人でも上手でも徳者でもないんですけれども、それ以上のものが合楽にはある。
 その以上のものを、私共は頂いておるんだ。という自覚に立たなければ、どういう素晴らしい、なら御教えを頂いてもただ頂いた。というだけにすぎない事になるんです。ね。それを頂いて、いよいよ行の上に現す。ね。いよいよ現してこそ、初めて信心が楽しいもの有難いもの、も、それこそ愉快な、ですからならせて頂けれる信心の手立てが、生神への手立てが説かれてあるのですから、いよいよ生神をめざして、信心の稽古をさしてもらわんならん。と思いますね。
   どうぞ。